群萌

「念ずれば花ひらく」は仏教詩人と言われた坂村真民の、詩の一節です。
この詩で真民は厳しい現状から光差す彼方に向けて、「花」という表現で心の叫びを表現しました。

その渇求たる叫びに肩すかしをするかの様な言葉に出会いました。
「念じなくても花は咲き 念じても花は散る」
自らの計らいに関係なく花は咲きそして散る。
あるがままを受け止めて生きる。これは自然の理(ことわり)から生き方を学ぼう。この苦海に腰を据え何事も受け止めて生きようと言っているのではないでしょうか。

この自然体の「花」は、真民の念じ続けた「花」の もっと近い所に咲き乱れているのかも知れません。

「どん底の状況からこそ幸福は生み出され育て上げられていくのだ。」長崎で被爆。妻を失い自らも重傷を負った医師、永井隆の言葉です。放射線医学を学んでいた永井は被災者の救護活動にあたるのですが、1946年(昭和21年)研究中の被爆と原爆による被爆の為に寝たきりになります。建ててもらったわずか二畳の家を『如己堂』と名付け、幼い二人の子供と暮らしつつ著作活動を始めます。長崎復興に私財を投じ1951年(昭和26年)に亡くなるまで平和を訴え続けた永井隆は敬虔なクリスチャンでした。

 物言わぬのは美徳であるという封建時代の遺物を、私達はまだ引きずってはいないでしょうか。軋轢を生みたくないから、どうせ分かってもらえないからと口を閉ざしているのでは。黙っているから肯定しているのではない。何も思っていない訳ではありません。心の奥底でぶつぶつ不平を言ったり、ペロリと赤い舌を出しているのかもしれません。だから物言わぬ人は信用ならないというのです。率直に自分の言葉で語りましょう。意見の相違は当たり前。その上で折り合い寄り添い、お互いを認め合って暮らしていこうではありませんか。

今我々の住んでいる世界には、偽物ばかりで本物に出遇えないという不幸があります。しかし、本物に出遇う為の苦労の末、出遇い得たときの喜びはひとしおなのです。有無を言わさぬ「真理」という本物の前には頭を下げざるを得ない。つまり「頭が下がる」のです。日常の中で「頭を下げる」事はあっても、「頭が下がる」という事は本当に少ないものです。
時代の常識という不確かなものを物差しにした過ちを幾たびも犯すこと無く、真理という普遍に照らしみることが肝要なのです。

仏教の教える「小欲知足」に通じる言葉です。
これは少ないもので欲を満たし、我慢をしなさいということではありません。実は自分は満ち足りている、恵まれていることに気づいて欲しいという仏の願いではないでしょうか。両の手に持ちきれないほどの物があっても、まだ欲しいという人間の本性。自分の内にあるその本性から目をそらさずに生きて行けたら、争いも無くなるはずなのですが。その遠く果てしない道のりを手を携えて行けと、仏は私達を叱咤しています。

朝目覚めて出会う今日という日は、いつも新しい一日である。
しかし今日を迎えられたように、必ず明日が自分の身に訪れる確約は誰にも無い。「いま」この一瞬が有るのみ。「ただいまを大切に生きよ」という仏の願いを、武子は花に託して詠んだのである。

九条武子
西本願寺 大谷光尊の次女。12歳で男爵九条良致に嫁ぐ。佐々木信綱に歌を学び大正三美人の一人に数えられた。

他人に迷惑をかけずに静かに死んでいきたいという思いは、人間の持ち続けている心の安らぎへの願いである。
しかし一人で出来ないのであれば、助けられ安らぎを得て死ぬのも、一生の終わりにふさわしい事である。仏教のホスピスであるビハーラ運動がそれである。
俳人小林一茶は真宗の信者で、肉親の間での相克の果てに、常日頃から願ってこの様な句を詠んだ。

『往生要集』石上善應 著  より

命ある限り何かを口にしなくては生きて行けない私達です。飽食の時代と言われて久しいのですが、相変わらず私達はあらゆる物を貪ってはいないでしょうか?日に三度の食事が餌にならないように、折々に自分に問うています。

私の命をつなぐためここに届いたあらゆる生命と、関わってくださったご縁に対して「いただきます」「ごちそうさま」

 

よく聞くのは「人事を尽くして天命を待つ」ですが、清沢満之は「ありのままの自分を受け入れ最善を尽くす」という意味で「天命に安んじて人事を尽くす」と言っています。これは落在するという事です。人間の小さな自我(自力)に任せるのではなく、生かされている(他力)自分に気付け。なるべき様になるのだから安心して全力で生きようと言っています。

 
 

 人のあらは目に付くもの。いつも自分の物差しで人の行動を測ってはいないだろうか。それぞれが持つ「自分の物差し」。 折りあって譲り合って社会は成立するのではないのか。

 「求不得苦」とは求めても得られない。そこから来る苦しみです。 世界で一番貧しいと言われた、ウルグアイのムヒカ元大統領。国際会議でのスピーチの一節です。
「貧乏とは少ししか持っていないことではなく、無限に欲があり、いくらあっても満足しないことです」
洋の東西、時代の 流れを問わず、真理の普遍性を伝える言葉です。

 

 

↑ PAGE TOP